2010年3月20日土曜日

『ロシアの外交官が見た近代韓国』(東北アジア歴史財団)  のコピペ

39 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/11(木) 06:48:39 ID:sXnOJ7I3
19世紀、西洋は鬱陵島と独島を見分けていた

【新刊】ミハイル・アレクサンドロビッチ・ポジオ著、イ・ジェフン訳
『ロシアの外交官が見た近代韓国』(東北アジア歴史財団) 

1880年代初め、中国と日本における外交業務を担当していたロシアの外交官ポジオは、
1885年に『韓国概観』を著述した。本書はその翻訳版。19世紀末の韓国関連情報を集
大成した百科事典的な一冊。鬱陵島の名称と位置を正確に記述しており、当時西洋で
は鬱陵島と独島(日本名:竹島)を混同していなかったことを示している。544ページ、
2万ウォン(約1540円)。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/news/20100307000001

日本は1880年に戦艦天城が松島Dageletが鬱陵島であることを確認しているので、
1885年の出版された地図に松島Dageletが鬱陵島で書いてあることは特に珍しいことではない。
また、オリビツ メレナイ岩という、ロシア名を竹島に記載しているということは、正確にOu long Touを記述しているにもかかわらず、この岩に朝鮮名を記さなかったことは、たんなる岩礁として描いていた程度であることを示唆しているともいえるのではないか?
この本については、Dokdo or takeshima 11:00 PM あたりを参照の事

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