2010年3月20日土曜日

http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1266408257/565
565 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/19(金) 16:14:22 ID:iOocJOpK

19世紀末、朝鮮政府が欝陵島の開発に着手すると、于山島への認識はより
正確になった。その時点の朝鮮側の認識を示すものが、図1に掲げた大韓帝国学
部編「大韓輿地図」(1899年 奎章閣所蔵)であり、古地図としては欝陵島と于山
島がほぼ正しい位置関係に画がかれている(注4)。
       --------------------

  堀和生氏も于山を竹島=独島とみているようです。古地図の読み方は見る人
によりさまざまです。このように位置や形状などが不正確な古地図は万人の共通
理解を得られないだけに、国際司法裁判所において証拠とはなり得ないという荒
木氏の指摘はもっともです。
  結局、韓国の官製地図において于山島の記述はあいまいなままであり、証拠
になる得る近代的な公的地図は存在しないようです。なお、有名な「大東輿地図」
は民間人である金正浩が作成したといわれているので、その地図から国家の意志
を読み取ることはできません。

  結論として、韓国には「国際裁判において証拠となる地図が1枚もない」
といえるのに対し、日本は竹島=独島の領有を否定する公的な地図のみが数多
く存在します。しかも、それらは国際司法裁判所にて日本の歴史的な竹島=独島
領有を否定する有力な証拠になりそうです。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=16044


19世紀末、朝鮮政府が欝陵島の開発に着手すると、于山島への認識はより
正確になった。その時点の朝鮮側の認識を示すものが、図1に掲げた大韓帝国学
部編「大韓輿地図」(1899年 奎章閣所蔵)であり、古地図としては欝陵島と于山
島がほぼ正しい位置関係に画がかれている(注4)。

つまり、鬱陵島と
于山島がほぼ正しい位置関係に画かれている、」
とのことなので、この于山島は竹嶼のことで間違いないと思います。鬱陵島の開発に着手した後でさえも、鬱陵島調査員たちは、竹島を鬱陵島地方の範囲に含めませんでした。
・朝鮮の認識していた鬱陵島の範囲-朝鮮王朝と鬱陵島捜討官が認識していた鬱陵島の管轄範囲。

堀氏の提示している大韓地誌の于山島は、朴錫昌以降に制作された鬱陵島詳細図を簡略化した地図であることはその形状を見れば明白です。

また、「結局、韓国の官製地図において于山島の記述はあいまいなままであり、証拠 になる得る近代的な公的地図は存在しないようです。」

との事ですが、朴錫昌の鬱陵島調査は、朝鮮王朝の命令によって行われ、制作したもので、この鬱陵島詳細図は、ウサン島が竹島ではなく、竹嶼であるとする証拠になりうる公的地図となるようです。

・1694年以降の朝鮮王朝の鬱陵島捜討官の製作した鬱陵島詳細図Maplistは于山島は現竹島ではないと明確に記録されている。于山島は竹嶼Boussole Rockである。
・円型の鬱陵島圖形(+江原道圖)Maplist
・角型の鬱陵島地圖Maplist
・金正浩の地圖Maplist
・楕円形鬱陵島地圖Maplist

このあたり、堀氏に、もう一度、この大韓地誌の于山島について、鬱陵島詳細図が公に知られるようになった今となって、どのように発言なされるのか聞きたいものです。

0 件のコメント:

コメントを投稿